2012年3月30日09:41:00
先週、先々週と東京出張の際に時間をとって福島県いわき市の友人を訪ねてきました。いわき駅周辺は歩道の不陸が気になる程度で建物やインフラは被害を免れたかと思い友人に聞いたところ「相当の被害があったが、外面や外装はだいぶ補修したが内部はまだ手つかずのところが多いよ」とのこと。実際に友人のマンション内部を見せてもらったら・・・・内装材は剥がれ、クラック(ひび割れ)あちこちに。
震災や原発事故の復興のための県外工事関係者が多く、ホテルは満室で夜の歓楽街の人通りが多いようでした。復興のシンボルでもある常磐ハワイアンセンターに足をのばしてみましたが、2,3工事中の施設がありましたが、来場者で溢れていました。
一見すると復興需要に湧いてるかのように思えますが、この1年間は大変だったようです。
翌日は放射能汚染制限区域の近くまで行き、海岸線を走ってきました。
その報告はまた次回に
2012年1月7日16:31:10
新年明けましておめでとうございます。辰年にあやかり、皆様にとって復興と飛躍の年になることをご祈念申しあげます。今年はもう少しブログのアップ率をあげたいと思っております。本年も宜しくお願いいたします。
木倉建設㈱ 黒木
2011年7月8日09:45:01
先週、熊本、福岡方面にに法人会の研修旅行にいってきました。
目的は会員相互の親睦をはかるためのと博多駅ビルを視察することでした。
(視察じゃなく遊びって言われればその通りですが・・・・)
熊本~博多間は九州新幹線に乗ってみました
内装は木目調で4列シートでゆったりです。なにより速い。約30分で到着しました。
東九州にもできないかな~
2011年6月21日10:57:12
震災後の対応の遅さや原発事故後の不手際にり与野党内から非難を浴び、内閣不信任案が上提されたにもかかわらず、前首相のとりなし(暗躍)により一転して信任となりました。その際に交わしたとされる念書はお互いに認識のズレなのか、政治家特有のオトボケなのか・・・未だに総理の椅子に座りご満悦ぶり。
国会答弁を観ていると、一体この国はどうなってしまうんだろうと危惧するのは私だけでは無いと思うんですけど。与野党問わずに国会議員の先生方は自分の議席確保のためだけに行動しているんじゃないかと勘ぐりたくなります。
未曾有の震災対応や経済対策、外交問題そっち除けでや判断基準は党利党略の為になるかならないかでは。
いち早く管総理が辞任し、国会を閉じ、大連立じゃなく日本国党として震災復興を初めとする諸問題に取り組んで欲しいものです。本当に日本が沈んでしまわないうちに。
2011年4月26日11:48:40
喫煙習慣も30年目にはいりました。
昨年の値上げの際にもやめきれず、今は震災の影響で普段吸ってる銘柄がなく
同じ味に近い外国産たばこを探しては吸おう懲りもなく吸っております。
この際スパッと禁煙できればいいのですが・・・・
タバコのみならず、震災の影響で品薄状態の建材や納期が確定できない建築部材が多数あります。
被災者の為の仮設住宅のため、在庫不足に陥ったり、生産工場が被災し、復旧の目処がたたないためです。早く対策をうってスムーズな企業活動ができる状態に戻してほしいものです。
原発の影響で外国人観光局も減少し、風評被害により輸出も制限されたなかにおいては内需拡大の景気対策を計り、日本国内の企業が活力をもちキチンと納税することも被災地の復旧復興につながると思います。
2011年4月21日10:22:33
今回の震災について思うこと。
建物を建てる際によく「地震がきても倒れない丈夫な建物をお願いします」とよく言われます。建築基準法に定める新耐震基準をクリアーする構造設計を行うわけですが、津波は想定されておりません。今回の被害状況をみると、ほとんどの建物が津波により破壊、喪失しております。特に木造建築に顕著にみられるようです。
今後「地震はもとより津波がきても流されない建物を」というような要望があったら・・・
結論から言うと鉄筋コンクリート(RC)造の堅固な中高層の建築となります。
木造や鉄骨造と比較すると、コスト・工期がかかります。仮に津波が襲ってきて、町の殆どが喪失し、そのRC造の建物だけが被害を逃れたとして、どうでしょうか?
町自体がもっと安全な場所へ移り、取り残されるかもしれません。もしそうなったら、過剰な設計の建物なのかもしれません。
今回の震災では色々と考えさせられます。
2011年4月19日14:54:51
春を迎えても、例年のように浮き立つような気分にならないのは・・・・・
東日本を襲った震災の影響であることは間違いありません。
流されていく建物、数十メートルも持ち上げられた車や船etc
あまりにも衝撃的な映像でした。震災により家族を亡くされた方、津波により被災し
た方や原発事故により避難された方々はさぞかし辛く悲しいでしょう。
今こそ全て日本人がしっかりと前を見据えて、生きていかなくては・・・そう思います。
数十年後にあの震災は日本の歴史の必然であったと思えるように。
立ち直った日本であるように。